サロメチールの歴史

大正10年11月に外用鎮痛消炎薬 『サロメチール』が新発売

 外用鎮痛消炎剤として大正10年に発売された『サロメチール』は、そもそも神経痛やリウマチ(ロイマチス)への外用治療薬として開発されたものでした。

 1920年頃、塗って痛みをしずめる薬として評判だったフランスの『ボーム・ベンゲ』という軟膏に注目した田邊元三郎商店(現・田辺三菱製薬)では、軟膏の主成分がサリチル酸メチルであることを知り、薬の開発に取り組みます。一方、成分の開発と並行して、粉石鹸を基剤としたべたつかない理想的な軟膏の開発に成功し、1921年(大正10年)サリチル酸メチルを主成分とした外用鎮痛消炎薬『サロメチール』(25g入りチューブ)を発売。ちなみに商品名称は、サリチル酸の「サ」とロイマチスの「ロ」とメチルによるものです。やがて剤型も軟膏のほか液状の製品なども開発され、多くの人々に愛用されていきます。

『サロメチール』の当初の額看板
『サロメチール』の当初の額看板

大正10年に発売されたサロメチール
スポーツマン向けの『サロメチール』の広告(大正13年9月『体育競技』)

昭和12年、東京後楽園開設時にフェンスに『サロメチール』の広告を掲示


『サロメチール』初の新聞広告(『名古屋新聞』大正13年5月13日付け)

 大正13年5月には、『サロメチール』初の新聞広告を名古屋新聞に掲載。以降、昭和8年4月の雑誌では、『サロメチール』と題して、ランニングや剣道、野球などのスポーツ時に役立つことをアピールします。このような宣伝施策の中で、特にスポーツ選手の間で利用が広がり、当時『暁の超特急』と呼ばれた陸上競技選手・吉岡隆徳も愛用していることが、マッサージ医師らによって紹介されました。

また、昭和11年頃になると普及は著しく、その年発表された女流作家・平林たい子の『女の問題』という作品にサロメチールの名が登場。そして、昭和12年9月に後楽園球場が開設されると、その外野に初のフェンス広告を掲示し、スポーツ分野での『サロメチール』の利用促進に役立てられました。


後楽園球場のフェンス広告

平成15年、佐藤製薬より販売を開始 新たなブランド展開へ

 『サロメチール』は大正10年の発売から今日まで、広く、何世代にもわたって愛用されてきました。約80年の歴史の中で、『サロメチール』の製造元も東京田辺製薬から三菱東京製薬を経て、三菱ウェルファーマへと変わっていきます。そして平成15年、三菱ウェルファーマがもつ一般用医薬品事業を佐藤製薬が承継し、新たに『サロメチールID1%スプレー』を佐藤製薬から新発売し、全8種類を販売。いつの時代にも、変化を敏感に捉え、生活者のニーズに確実に応える医薬品を開発・提供し続けてきた同社ならではの『サロメチール』シリーズの新たな展開にご期待ください。


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